「いい人」をやめると楽になる(曽野綾子)より
また書き出し。
すべての人生のことは「させられる」と思うから辛かったり惨めになるのであり,
「してみよう」と思うと何でも道楽になる。
会いたい人に会えるかと思うと心が躍る。
人に会うことがこんなに嬉しい人間もいるのに,
世間には対人恐怖症になる人もいるという。
理由はいくつもあるであろうが,人によく思ってもらいたいという
不自然な期待と,功利的な目的で会いたくない人にも
会わされるからだと思う。
会いたくてたまらない人ばかりだったら大きな幸福だろう。
人がするからいいのではない。
人がしてもしないし人がしなくてもするというのが勇気であり,品位である。
正確に言えば私たちすべてが仮の姿で生きている。
子供を失えば私たちは父でも母でもなくなる。
先生と呼ばれるのは教室の中だけで,
知らない町ではただの男か女である。
選挙で落選すれば代議士でなく,退官すれば裁判官も詐欺師に間違えられる。
仮の姿を認識して生きる。
その意識が謙虚さにもなり,感謝にも笑いにも自由な精神になる。
友人の本当の出番は、相手が何らかの意味で、不幸に出会った時だ。
健康で順調に暮しているときは放っておいてもいい。
しかし,相手が肉親を失ったり、病気になった時こそ,友人は出ていくべきなのである。
一週間、一年が経つごとに心の苦しみは少しずつ過酷でなくなっていく。
その過程にできるだけ立ち会うことが友人の役目なのである。
すべての人生のことは「させられる」と思うから辛かったり惨めになるのであり,
「してみよう」と思うと何でも道楽になる。
会いたい人に会えるかと思うと心が躍る。
人に会うことがこんなに嬉しい人間もいるのに,
世間には対人恐怖症になる人もいるという。
理由はいくつもあるであろうが,人によく思ってもらいたいという
不自然な期待と,功利的な目的で会いたくない人にも
会わされるからだと思う。
会いたくてたまらない人ばかりだったら大きな幸福だろう。
人がするからいいのではない。
人がしてもしないし人がしなくてもするというのが勇気であり,品位である。
正確に言えば私たちすべてが仮の姿で生きている。
子供を失えば私たちは父でも母でもなくなる。
先生と呼ばれるのは教室の中だけで,
知らない町ではただの男か女である。
選挙で落選すれば代議士でなく,退官すれば裁判官も詐欺師に間違えられる。
仮の姿を認識して生きる。
その意識が謙虚さにもなり,感謝にも笑いにも自由な精神になる。
友人の本当の出番は、相手が何らかの意味で、不幸に出会った時だ。
健康で順調に暮しているときは放っておいてもいい。
しかし,相手が肉親を失ったり、病気になった時こそ,友人は出ていくべきなのである。
一週間、一年が経つごとに心の苦しみは少しずつ過酷でなくなっていく。
その過程にできるだけ立ち会うことが友人の役目なのである。


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